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30年を振り返る・6(町田 ひろ子)
みなさん、こんにちは。

来週10日(月)はいよいよアカデミー30周年最大イベント
「企業と生徒の交流会&キャリアフォーラム」が
東京国際フォーラムにて開催します。

アカデミーHPより「第1部公開プレゼンテーション全国大会」の参加申込受付中なので、是非奮ってご参加くださいね!

全国から選ばれた、優秀な代表グループによる初のプレゼンテーション大会。とても楽しみです。

さて、私がアメリカから再び日本へ戻った時のお話をしましょう。

ある日、母が突然ボストンに。
祖父が危篤となり帰国しなければならなくなりました。
日本に戻ってから就職活動をしたのですが、ことごとく断られ、ある会社では、「あなたみたいなアメリカ帰りの中途半端な女性を雇う会社はないよ」言われたりしました。

そんなこともあって、私は、どんなに苦しくても一人で頑張ろう、と思ったわけです。

今から30年前のことでした。

今回で私の30年前のお話はおしまいとします。
青山・表参道に引っ越ししてからあっという間にネットワークがひろがりました。来年もアカデミーはワクワクするようなイベントを沢山行います。
楽しみに待っていてくださいね。

それでは、また...。

町田ひろ子
町田 ひろ子


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30年を振り返る・5(町田ひろ子)
みなさん、こんにちは。
今回は私がアメリカで環境デザインを学んだ頃のお話です。

アメリカは生活そのものが、環境デザインを学ぶ大きな目的になりました。アメリカの学校もそれ自体また興味深かったですね。

私が学んだときは、年齢的には若くなかったのですが、その学校では私が一番若い方でした。アメリカの学校は年齢に関係なく、学びたいと思うときに入学できる受け皿があるのです。これは、後にアカデミー開校の精神にもつながっています。また、多民族国家でいろいろな言葉が存在するので、ビジュアルデザインなどユニバーサルな方法で伝えることが重視されています。

授業は、プレゼンテーションが重視されていて、パースという出来上がり予想図を使って自分の考えをみんな上手に提案していました。ここではパースを能率的に描くためにグリッドという下敷きがあって、それを使えば誰でもパースが描けるようになっていました。

この学校では描き方を重視するのではなく、何を描くかが大切だという考えがありました。描く方法については、素人の人をできるだけ早く他の人と同じレベルまで持っていくんです。

そして、そこからが自分のアイデアを活かして内容を描き込んでいく、つまりデザインが始まるというのです。私はそのメソッドについてすごく感心しました。これがあれば、デザイン力をより多くの人が身につけられる、と思いました。

日本では、学校を卒業し、いざ会社に出て後悔したとしても、やり直しがききません。しかし、アメリカの学校の生徒たちは一年間学ぶと社会に出て新たな職場でちゃんと社会復帰しているんです。今度は自分のやりたいことを糧に生活する。学校に行けなくなった人も、単位が保存されているためいつでも復学できるようにもなっています。

私はよく、英語が上手ですね、と言われますが、この学校では英語でプレゼンテーションしなければならず、あわてました。日常会話というのではなく、プレゼンテーションのための英語が必要だったのです。

貧乏学生の私は、無料で教えてくれる、ボストン市立の移民のための語学学校を見つけ出しました。私が行ったときは、定員いっぱいで断られましたが、せっかくだから授業を見てみようと教室を覗くと教室はガラガラなんです。

そこで生徒のふりをして、体当たり。しばらく授業に出ることにしました。そうして10日くらい経ったある日先生から呼ばれ、ついにバレたかと観念したら、先生が「私はアン。あなたの名前は?」と言うんです。仕方なく名前を言うと、先生が「ひろ子、今日からあなたは私の生徒よ」と微笑むんです。

これがアメリカです。
無我夢中でしたが、こうしたチャレンジや行動が私の原点です。

今回はここまでとします。
続きはまた次回・・・

町田ひろ子

町田ひろ子


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30年を振り返る・4(町田 ひろ子)
皆さん、こんにちは。
暑い季節の到来ですね。

町田ひろ子アカデミーでは、8月に入ると、サマースクールが全国ネットワーク校で始まります。楽しいイベント目白押しです。是非参加してくださいね。

それでは、いよいよ私の海外へ脱出の話に入りたいと思います。

約3年近く勤めた会社を退職して出かけたのがスイスです。
スイスに住んでみてわかったのは意外に病人が多いということでした。

こんなに環境のいい国でなぜ病気になる人が多いのか。その理由は食だと言う人がいました。チーズとか乳製品が多く、野菜や肉、魚をあまり摂っていないんです。その上、スイスは観光の国であるため海外からたくさんの人が来て、いろんなウイルス等が持ち込まれたということもあったでしょう。衣食住のバランスというものに関心を持つようになりました。

スイスでは結婚をし、家庭を持ち子供を産みましたので、環境への興味はさらに強くなりました。その後、アメリカに渡り環境デザインという道に進むのですが、スイスでの暮らしの体験が出発点になっているように思います。

今回はここまでと致します。
それでは、また次回・・・

町田ひろ子

町田 ひろ子

30年を振り返る・3(町田ひろ子)
みなさん、こんにちは。
今回も前回のお話の続きで、30年を振り返ってみたいとおもいます。

日本に帰ってくると就職活動に出遅れ、なんとか残っていたのが、家電メーカーのデザイン部、もう一つは吹きガラスの会社でした。
私の卒業した武蔵野美術大学工業工芸デザイン科はいわゆる産業デザインで、いろいろな材料を触りながらモノづくりしたいと思い、学んできました。けれど、ガラスの方は徒弟制度のような体制で給料が安く、給料を第一に考えて、結局家電メーカーを受けることにしました。

その頃、女子大生亡国論などが飛び交う時代で、企業は女子大生を採用する雰囲気ではありませんでしたが、私の後ろには期待してくれている家族がいるので、後戻りはできません。でも、面接先では、4年制の女子大から採用するとなると君が始めてだ、と言われる始末。給料はどれくらい希望するのかと聞かれたので、4年制大学卒男子と同じ額が欲しいと答えましたら、面接官たちが突然ざわめいて“生意気な女だ”といった目で見るんです。その騒然とした面接官たちを見て、これは落ちたかな、と思いました。

ところが、私は採用されたのです。変わった女を入れてみよう、と思ってくれたのでしょうか(笑)幸運でした。

女子大生で採用されたのは、結局、私ひとりでした。
入社後、合宿して新人教育が行われますが、そこでは全国から新入社員がやってきて企業への忠誠心なども叩き込まれました。

でも、入社後に私がやったのは、一般のコンペに作品を応募することでした。自分を会社の外、つまり社会で認めてもらおうとしたわけです。給料の多くをその作品づくりに費やし、どんどん応募しました。女性がまだまだ社会進出を阻まれていたので、何とかして認められたかったんです。そういう思いが人一倍強かったのでしょうね。

今回はここまでとします。
続きはまた次回・・・

町田 ひろ子

町田 ひろ子


30年を振り返る・2(町田 ひろ子)
みなさん、こんにちは。
前回の続きをお話したいと思います。


写真左側が町田ひろ子校長(当時21歳)


上の写真は、カナダへホームステイした時の写真です。

カナダでの体験は、私にとって非常に大きな出来事でした。
それまで想像したこともない夢のような経験をさせてもらったのです。
それは、ホームステイ先のご主人が、私を車で迎えに来て、家に着いた時から始まりました。

車から降りて門の前に立つと同時に家の照明が一斉に灯り、玄関のドアを開けると、家の中にはBGMが流れ、案内されたどの部屋にもその音楽が聞こえてくるんです。

 尋ねると家中のスピーカーはご主人が自ら設置したと言うので、何て素敵な方だろうって思いました。豊かな生活なんだと実感したのです。

それから、ご主人が「今日は記念すべき日だから」と言って、庭のすぐ裏の湖に泊めてあったプライベートクルーザーに私と家族を乗せ、対岸のデトロイトのレストランに連れて行ってくれました。

カナダからアメリカに渡るという体験も初めてなら、ホテルのレストランから見るトロントの夜景も初めてで、それはもう素晴らしいの一言でしたね。

1967年という時代に、この豊かさはすごいと感じました。カルチャーショックでした。各地でいろいろな家と家族に会いましたが、このご家族は一番思い出に残りましたね。

今回はここまでとします。
続きはまた次回・・。

町田 ひろ子

町田 ひろ子

いよいよ創立30周年(町田 ひろ子)
1978年、東京の赤坂に小さな学校が誕生しました。
皆様の御支援のお陰で何とか30年になります。

山あり谷あり、思えば色々な事がありました。
アカデミーの宝はすばらしい生徒達。
そして熱心な先生達です。

この4月、新しい町田ひろ子アカデミーが表参道に生まれます。
皆様に愛されるユニークな学校です。
只今、表参道一期生
(町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミー30期生)募集中。

我と思わし方はお問い合わせください!

町田 ひろ子
町田ひろ子アカデミー 校長
町田ひろ子

30年を振り返る(町田 ひろ子)
みなさん、こんにちは。
突然ですが、この写真の女性は誰だかわかりますか?

誰だかわかりますか?

赤坂に町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミーを開校した頃の私です。
早いもので来年アカデミーも30周年を迎えます。
様々な紆余曲折はあったものの、たくさんの人に支えられた事でこの30周年があると本当に感謝しています。
そこでこの30年を振り返り、私の歩いてきた道を何回かに分けてお話したいと思います。

私が環境デザインに興味を持ち現在に至った最大の要因として、自分の育ちがまずあると思います。父親と早くに別離し、母の大変さを身近に見てきたことは大きかったですね。女性もいざという時に手に職を持っていたほうがいい、という考えが早い頃から芽生えたように思います。
そして、女子大生というのが社会的にもまだ認知されない時代に大学に入り、希望を求めて交換学生に応募したんです。ボランティアで、目の見えない人に英語を教えていた姉の影響が強くて、英語を覚えて国際的な舞台で活躍してこそプロ、という思いがありました。
大学4年の時、交換学生という形でカナダへの短期留学のチャンスがやってきました。でもそこで悩んだのが渡航の費用。誰に相談しようか考え、最初に頭に浮かんだ祖母に、祖母が貯めていると言ってくれた私の結婚資金を「貸してほしい」とお願いしたんです。自分はどうしてもカナダに行ってこれからの人生に活かしたいと言うと、何とか貸してくれました。その頃はホームステイといっても別世界だったわけで、祖母も不安だったと思います。

とりあえず、今回はここまでとします。
続きはまた次回・・。

町田 ひろ子